20代からの終活を考える

こんにちは、名乗る価値もあまりない男です。

 

これまでたくさんの勉強をし、人を幸せにしたくて燃え尽きるほど努力をしてきましたが、人に裏切られ、精神的病気になり、仕事もうまく行かず、九死に一生を得る経験を2回通して「生きる意味、目的、やる気」が空っぽになって現在に至ります。

 

そんな私ですが、色々と思うところがあり、こうして何か雑記として形に残しておこうかなと思い、いくつか書いていこうかなと思います。私自身は色んな経験を通してきたので平常運転なつもりですが闇が深いかもしれないので、そういうのが苦手な方はブラウザバック推奨です。

 

「こういう精神状態の人って何を考えるのだろうか?」とか「自分と似た境遇の人だ、この人は何を考えてるんだろう」みたいに見ていただけるとなにかしら発見があるかもしれません。

 

終活とは?

終活」とは、「自らの人生の終わりに向けた活動」の略語で、自分が亡くなった際の葬儀、お墓、遺言の準備や、財産相続、身の回りの生前整理などを行うことを指します。↓のサイトからきちんと選ぶ。絶対失敗しないお墓の探し方

 

と本来はご老人の方々が用いる言葉です。ですが、本当に老人だけですか?先が見えない、生きている意味も価値もない、ただただ過ごしているだけの空っぽの人形、こんな状態から解放されたいみたいに考えている若者も多いのでは?(私を含めて)

 

私の考える終活

旅立つ日を決めておいて、その前までに人間関係のしがらみやお金関係のしがらみを綺麗さっぱりしておく事かなと考えています。旅立った後に使ってもない携帯代請求されると困りますからねw

 

なので、

 

・何かしらの人間関係の精算

・お金関係の契約の解約

 

たったこれだけです。楽でいいと思います。立つ鳥跡を濁さずといいますが、こういう時にはこういった諺を見習いたいと思いますね。

 

息苦しい日本という国

日本という国は死という事に非常に敏感で、死んだら誰々が悲しむだの、超えられない試練や壁はないんだとか神や宗教の思想が絡んだ独特の考え方をしますが、結局それは

「だれの考えた言葉なのでしょうか?」

誰かの受け売りだったり、どこかで聞いた話をそれっぽく言ってるだけでしょう。死がいけない事だと思うから、なんとなく止める、なんとも無責任ではありませんか。

止めた人がその人の人生そのものに責任を持てるわけなんてないんですから。いつまでも日本が安楽死をタブー視してるのも頭固くて嫌になってしまいます。

 

理屈ではわかります。税金を収める若者が安楽死をどんどん求めていったら国として成り立たなくなってしまう。当たり前の話です。だから決して認めないし、これからも色んな理由をつけて認められるはずがない。だから別の選択肢をとらざるを得なくなる。

 

世の中には本当に生きてるだけで辛い人達がいます。そういった方々にとっての永眠とはある種本当に救いなんです。

 

「夜布団に入ってそのまま目が覚めなければいいのに」と何回思ったことか、「横断歩道歩いてて横からトラックぶつかってこないかなぁ」と何回思ったことか、そんな事を考えてるとニュースで不慮の事故で亡くなられてしまう方々がいる。「変わってあげられたら」と何回思ったことか...

 

死にたい人が死ねず、生きたい人が突然亡くなってしまう。なんと不条理で狂った世の中でしょうか。

 

是非日本に考えてもらいたい案

最終的にこういう思考に落ち着く人が多いのではないかと思います。以前私とまったく同じ考えの人がいてびっくりしました。

 

安楽死」=「臓器提供をした上での安楽死

 

これが最高なのではないかと常々思うんですよ。臓器を求めている人は星の数、つまり苦しみながらも生き延びたいと考えている人がいっぱいいるわけです。

一方苦しみながら楽になりたいと思っている人達がいる。楽になりたい人たちが臓器提供した上で安楽死をさせてもらえれば全てが円満に解決するではありませんか。少なくても私はそういった精度が導入されたなら飛行機使って受付窓口に駆け込みますよ。

 

自分で旅立つとどうしても臓器の鮮度がよろしくない上に楽じゃない。旅立つ方法、旅立った後の発見後の時間でどうしても使い物にならなくなる。

 

倫理的には完全にアウトなんですが、両者の肉体的、精神的な需要と供給を満たしたいい案だと考えます。あと400年くらい先に生まれてたらそういった制度もあったのだろうか...